真・やる気 その11
またどうでもいいことを書き連ねてみる。
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3月も後半に入ってしまっている。今回の冬も、思い残すことがたくさんある。
一番残念だったのは、今回もキチンと冬の星空を眺めることができなかったことだ。これはここ数年にわたって毎年そういう結果になってしまっている。
1年を通して、星空が一番綺麗に見えるのは冬である。冬の夜は空気が澄んでいて、かつ、明るい星が多いことによって、大気汚染の進んでいる都会でさえも、たくさんの星を見つけることができる。
ベテルギウス、リゲル、ベラトリックス、サイフ、シリウス、プロキオン、カストル、ポルックス、カペラ、アルデバラン、プレアデス星団、………、実にたくさんの星を見つけることができよう。
が、ここ数年はこれらの星々をしっかり見ることを忘れてしまっているのである。かつては、毎晩星空を見るのが楽しみだった。夜中家を抜け出して少し離れたところにある公園まで星を見に行ったこともある。
最近、その公園に夜中行ってみたことがある。別に何かをするというわけでもなく、せっかく来たのだからとトイレを借りて、そのまま通り抜けていっただけだった。昔は日曜日になると、よく遊びに来たものである。
星を見なくなった理由の1つは、
その光が眩しすぎて、会わせる顔がない
ということである。あまりにも自分が情けなく、恥ずかしく、顔向けできない。何よりも、自分の罪を改めて照らし出されるようで。
自分にはもう、人並みの生活はできない。そんなこと、初めからわかりきっていたことではあるが。が、決定的な状況になりつつある。勿論、そんな状況を招いたのも全て、自分の無力さからである。
今後は、あまり人とは関われなくなるであろう。そういう原因を持ちつつある。例え、そんなことは関係ないという人が現れたとしても、その周りの人が許さないであろう。そうすると、その人を一生苦しめ続けることになる。
ここで、昨年の「やる気シリーズ」でちょっとだけ触れた次のことをもう一度思い返してみる。
自分以外の人の人生に責任を取るだけの覚悟があるか?
これは本来、自分がとあるテーマに関して勝手に設定した条件の1つである。が、今回の内容にも大きく関わってくるので、あえて再び述べることにする。
まぁ要は、ある人を一生苦しめることになったとき、その人の人生に対して責任を負うことができるかどうか、ということである。単に自分が自分の人生を全うすればいい、というものではない。自分以外のある人を一生苦しめ続けるということは、これだけの責任が生じるのである。それだけの覚悟と、責任能力があるのか、ということが問題なのである。
はっきりいってしまえば、自分にはそれだけの覚悟も責任能力もない。いや、全くない。断じてない。滅相もない。絶対にあり得ない。もしあったら、このような状況を引き起こすことになるはずがない。
なんて、偉そうに言っても意味がない。ないならないで、けじめをつけなければいけない。
「けじめ」というものは、これも以前に書いたと思うが、何をやっていてもなくてはならないものである。「必要」などというレベルではない。そして、そのけじめをつけるのは、他でもない自分自身なのである。こうしたけじめをつけることができないと、何でもかんでも中途半端になり、結局は何一つ達成できないのである。
結局は、繰り返しになるが、自分は他の人の人生に責任をとれるだけの人間ではなかった、ということに落ち着く。そして、そのけじめをつけなければいけない。
求めてるものと違う求められるものが 増えて行くよクレバスたちの数
氷裂く熱い夢が曲げられない思い 変えられない現実と対決
いいかげん捨てようとして 向けた背中
やわらかく強く強く照らす太陽 浴びて
もういいよ かっこ悪い意地っ張りだっていいよ
砂に溶けてゆく波に
果てなく伸びてく空と大地のライン滲んだ
自分の唄届けよう
(國府田マリ子さん『Clear』の一節)
今回の挿入歌は、僕のとっておきの場所にピッタリの曲。或いは、第四の地元・東雲か。この曲、最初から最後まで僕のことを歌ってるような気がしてならない。なぜか、全て僕に当てはまることなのである。
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今回も結論無し。挿入歌は続けてみよう。
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3月も後半に入ってしまっている。今回の冬も、思い残すことがたくさんある。
一番残念だったのは、今回もキチンと冬の星空を眺めることができなかったことだ。これはここ数年にわたって毎年そういう結果になってしまっている。
1年を通して、星空が一番綺麗に見えるのは冬である。冬の夜は空気が澄んでいて、かつ、明るい星が多いことによって、大気汚染の進んでいる都会でさえも、たくさんの星を見つけることができる。
ベテルギウス、リゲル、ベラトリックス、サイフ、シリウス、プロキオン、カストル、ポルックス、カペラ、アルデバラン、プレアデス星団、………、実にたくさんの星を見つけることができよう。
が、ここ数年はこれらの星々をしっかり見ることを忘れてしまっているのである。かつては、毎晩星空を見るのが楽しみだった。夜中家を抜け出して少し離れたところにある公園まで星を見に行ったこともある。
最近、その公園に夜中行ってみたことがある。別に何かをするというわけでもなく、せっかく来たのだからとトイレを借りて、そのまま通り抜けていっただけだった。昔は日曜日になると、よく遊びに来たものである。
星を見なくなった理由の1つは、
その光が眩しすぎて、会わせる顔がない
ということである。あまりにも自分が情けなく、恥ずかしく、顔向けできない。何よりも、自分の罪を改めて照らし出されるようで。
自分にはもう、人並みの生活はできない。そんなこと、初めからわかりきっていたことではあるが。が、決定的な状況になりつつある。勿論、そんな状況を招いたのも全て、自分の無力さからである。
今後は、あまり人とは関われなくなるであろう。そういう原因を持ちつつある。例え、そんなことは関係ないという人が現れたとしても、その周りの人が許さないであろう。そうすると、その人を一生苦しめ続けることになる。
ここで、昨年の「やる気シリーズ」でちょっとだけ触れた次のことをもう一度思い返してみる。
自分以外の人の人生に責任を取るだけの覚悟があるか?
これは本来、自分がとあるテーマに関して勝手に設定した条件の1つである。が、今回の内容にも大きく関わってくるので、あえて再び述べることにする。
まぁ要は、ある人を一生苦しめることになったとき、その人の人生に対して責任を負うことができるかどうか、ということである。単に自分が自分の人生を全うすればいい、というものではない。自分以外のある人を一生苦しめ続けるということは、これだけの責任が生じるのである。それだけの覚悟と、責任能力があるのか、ということが問題なのである。
はっきりいってしまえば、自分にはそれだけの覚悟も責任能力もない。いや、全くない。断じてない。滅相もない。絶対にあり得ない。もしあったら、このような状況を引き起こすことになるはずがない。
なんて、偉そうに言っても意味がない。ないならないで、けじめをつけなければいけない。
「けじめ」というものは、これも以前に書いたと思うが、何をやっていてもなくてはならないものである。「必要」などというレベルではない。そして、そのけじめをつけるのは、他でもない自分自身なのである。こうしたけじめをつけることができないと、何でもかんでも中途半端になり、結局は何一つ達成できないのである。
結局は、繰り返しになるが、自分は他の人の人生に責任をとれるだけの人間ではなかった、ということに落ち着く。そして、そのけじめをつけなければいけない。
求めてるものと違う求められるものが 増えて行くよクレバスたちの数
氷裂く熱い夢が曲げられない思い 変えられない現実と対決
いいかげん捨てようとして 向けた背中
やわらかく強く強く照らす太陽 浴びて
もういいよ かっこ悪い意地っ張りだっていいよ
砂に溶けてゆく波に
果てなく伸びてく空と大地のライン滲んだ
自分の唄届けよう
(國府田マリ子さん『Clear』の一節)
今回の挿入歌は、僕のとっておきの場所にピッタリの曲。或いは、第四の地元・東雲か。この曲、最初から最後まで僕のことを歌ってるような気がしてならない。なぜか、全て僕に当てはまることなのである。
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今回も結論無し。挿入歌は続けてみよう。
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